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ハンガリー社会主義労働者党

ペレストロイカの影響でハンガリー社会主義労働者党でも改革派の勢力が強まり、1989年に至り動乱の評価を修正し復権させた。ハンガリー社会主義労働者党の自らの自己批判は、後の東欧革命への導火線となった。

1989年2月の総括文書「四十年間に関する報告」の中に「1956年10月の大衆蜂起」と動乱を武装大衆蜂起とする規定に定めた。反革命と言う表記を改め、「大衆の目からは、一種の民族独立運動」に転化したと指摘した。また、ソ連軍の第二次介入(11月)中にも社会主義の徹底的民主改革と革新への努力が力となり、それは動乱中にも存在し続けた。と記述している。結局、ナジ政権は、その努力にもかかわらず、情勢へのコントロールを失い、逆に情勢に押し潰されたと分析した。

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1989年3月のナジの遺体発掘により、再評価は決定的となった。再埋葬式の式典に際し、党表明が載せられた。
式典は再埋葬を歴史的、象徴的出来事と捉えている。 
ナジと裁判で有罪となった政治家の正当な評価。
ハンガリー事件の正当な評価及び、外国への事件の資料の公表許可。
ナジはハンガリー史において重要な人物であり、国家救済の為に闘い、スターリン主義を抑え、不正を許さず反革命と闘った。彼は道筋は誤ったが、民主的複数政党制を認める社会主義の道と一体化した。
事件のすべての犠牲者はハンガリー国民である。この国民的損失を、ナジの再埋葬式典で、国民和解のシンボルとならなければならない。
ハンガリーはこの年を持って社会主義独裁を放棄した。それはナジの理想その物であり、冷戦の終結にも重要で計り知れない役割を演じた。ハンガリー政府は、自国の国民和解のみ為らず、西欧資本主義社会とも和解を演出した(鉄のカーテン撤去。汎ヨーロッパ・ピクニックへの協調)。1968年の「プラハの春」にも社会主義国家で唯一最初に正当に評価を下した。そして1989年10月23日、ハンガリーは一滴の血を流す事もなく社会主義を捨て、ハンガリー共和国を建国し、ヨーロッパへ回帰するのである。この日は、ハンガリー革命が起きたその日である。

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2009年04月28日 11:38に投稿されたエントリーのページです。

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